競馬好きの人々の、競馬の楽しみ方は様々です。
競馬をスポーツとして見て、レースを楽しむ人達
サラブレッドの血統に魅せられ、血の織りなす物語を追う人達
競馬をギャンブルとして見て、予想や賭けを楽しむ人達
馬自体が好きで、馬を追う人達
好きな騎手がいて、その騎手を追う人達
その他にも様々な競馬の楽しみ方があるでしょう。
今回はその中でも騎手に焦点を当てて、近代競馬が始まってから今までに活躍してきた騎手の方々の中でも、世界三大騎手と呼ばれることもある三名を紹介していきます。
ゴードン・リチャーズ
1920年代からイギリスで騎手となり、通算4870勝、リーディングジョッキー26回というとてつもない記録を残した人物
その功績から、イギリスでナイトの称号を授与されたの騎手でもある。
幼少期に家で飼われたいたポニーに興味を持ち、7歳の時にはポニーを操り家族を送迎していたという。
デビュー時からその才能を買われ、次々と有力馬に騎乗し、21歳という若さでイギリスのリーディングジョッキーとなる。
クラシック競走(1000ギニー、2000ギニー、ダービー、オークス、セントレジャー)は生涯で合計14勝しており、輝かしい成績に見えるが、実は最も偉大な競走であるダービーにだけはなかなか縁がなく晩年まで勝利出来なかった。
49歳という、騎手としては引退も考え始めるような年になり、彼はイギリスからナイトの称号を授与される。
その僅か一ヶ月後、ナイトの称号に恥じない素晴らしい騎乗でダービー初制覇、イギリスクラシック競走完全制覇を成し遂げた。
現在ではそんなゴードン・リチャーズに敬意を表してゴードン・リチャーズステークスという競走が行われている。
レスター・ピゴット
上記ゴードン・リチャーズの引退直前にデビューした騎手であるレスター・ピゴット
ゴードン・リチャーズが引退する1954年に、レスター・ピゴットはネヴァーセイダイという馬に跨り、18歳でダービーを制覇した。
それからというもの、通算勝利数5300勝という大記録と共に、クラシック競走30勝と前人未到の記録を打ち立てていくことになる。
特に注目すべきは、イギリスのダービー9勝という記録
ゴードン・リチャーズがようやく悲願の勝利をして、僅か1回しか勝てなかったダービーに9回も勝利する大記録は、現在でも破られていない。
競馬の一般人気の普及に貢献したとされていて、それまで上流階級の嗜みというイメージの強かった競馬を、一般家庭の主婦までファンに取り込み、イギリスの競馬人気を底上げしていった。
騎手としては長身である173センチの身長から、減量には騎手人生で常に苦しんでいたと語っており、空気抵抗や馬上でのバランスを考えると不利となる長身を跳ね除けるため何度も独自の騎乗スタイルを開発して幾度となく禁止されたとされています。
1985年に引退し、大英帝国勲章を授与されたが、後に脱税で剥奪され、その1年後になんと騎手として現役に復帰
復帰僅か10日目にアメリカでブリーダーズカップマイルを勝利、その2年後にはイギリスのアイルランドでクラシックに勝利し、1995年に再び引退するなど、晩年まで話題に事欠かない人物であった。
フレッド・アーチャー
本名はフレデリック・ジェームズ・アーチャー
通称フレッド・アーチャー、主に通称の方が有名であり、本名を知らなかった人もいるのではないでしょうか。
19世紀に活躍した伝説の騎手で、その偉業はいまだに語り継がれている。
12歳の時から非公式戦に乗るようになり、14歳の時に公式戦で初勝利
17歳で2000ギニーに勝ち、クラシック初勝利を飾る。この年にリーディングジョッキーとなり、それから13年間の騎手人生でリーディング1位の座を守り続けた。
初めてリーディングを獲得した年は僅か38キロだったとされており、小柄過ぎる体格も競馬では不利とされているので、この体重でリーディングを獲得したのだから驚きだ。
さらに驚異的なのは、20歳にしてイギリスのクラシック競走を完全制覇したこと。
あまりに勝ちすぎるので
アーチャーが乗ればカタツムリでも勝てる
という話が広がったほどである。
その他にも語られる逸話は数知れず、調教中の事故により筋肉を断裂する大怪我を負い、片腕が動かないままダービーに騎乗して勝利したり、わざと出遅れてから盛り返す騎乗でダービーを勝利したり、世界最高峰の競走であるダービーを常識外れの騎乗で何度も勝利している。
そんなアーチャーの人生はやはり常に華々しいものなのかと思いきや、そんなことはなかった。
1983年に結婚し、公私共に充実した生活をこれから送っていくのかと思われた矢先に、彼に不幸の螺旋が襲いかかる。
年間勝利数232勝という新記録を達成した翌年に長男が出産直後に亡くなった。
さらにその翌年、彼は不幸を嘲笑うかのように年間勝利数241勝を上げ、自己記録を更新するのだが、記録を塗り替えた当日、今度は長女の出産時に妻が亡くなった。
それからアーチャーの顔から笑顔が消えたとされているが、それでも彼は騎手として活躍を続け、翌年にまた246勝と再び事故記録を更新する。
家族の不幸が続いていたアーチャーだが、今度は自身の身にも不幸が訪れる。
小柄過ぎた体格は、単に成長が遅いだけであったのだ。
29歳になったアーチャーは、なんと身長178センチ、体重は70キロにまで成長していた。
当然この体重では競馬に出ることはできない。
競馬においては、全ての馬の公平を期するため、馬具も合わせて55キロ前後の重さで騎乗する事が求められるためだ。
20キロ近くの体重を落とさなければならないのだから、常識的な減量では足りず、下剤の服用や長時間のサウナ、果てはダイナマイト粉末を飲むという奇行にも走っていた。
やがてアーチャーは体調不良を訴え、病床に伏すこととなる。
なかなか体調が上向かない中、看護師や付き添いの姉を病室から出て行くように促す。
アーチャーは一人になった直後
Are they coming?(やつらは来たか?)
という言葉を発した直後に、部屋にあった拳銃で自殺してしまった。

29年という若すぎる幕切れ
アーチャーの功績や、自殺時に使われた拳銃は、今でもイギリス・ニューマーケットの競馬博物館に展示されています。
アーチャー生涯に2度、年間勝率4割という記録を残している。
国や時代によって多少の差はあるが
1割勝てればその世代ではトップクラス
2割勝てればその国ではトップクラス
3割勝てれば歴史上でもトップクラス
勝率4割というのは才能や努力という物だけでは説明できないような領域なのだ。
それを2度も記録したアーチャーの秘密は、現代主流となっている、短い鎧に体を地面と平行にするモンキー乗りとは違う、長い鎧に体を地面と垂直にするような特殊な騎乗法にあったとされているが、真相は闇の中となっている。
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