三冠馬

競馬

日本競馬史上に輝く【三冠馬】の称号を持つ馬達
2022年現在、8頭の日本クラシック三冠馬がいます。
この記事ではその8頭の馬達について紹介していきます。
まずは大前提として、三冠馬とイギリスのクラシック競走と言われる競走の内牡馬向けに開催されていた3つのレース(2000ギニー・ダービー・セントレジャー)を参考にして日本で開催されている、以下の3つのレースを全て制覇した馬の事を指すもの

  • 皐月賞
  • 日本ダービー
  • 菊花賞

上記の3つのレースはサラブレッドが3歳の時に生涯1回ずつしか挑戦できないもので
皐月賞は【最も速い馬が勝つ】
日本ダービーは【最も運の良い馬が勝つ】
菊花賞は【最も強い馬が勝つ】
と言われています。

セントライト

日本競馬の初代三冠馬
生涯戦績12戦9勝
1941年に三冠を達成していて、黒鹿毛の大きな馬だった。
3冠達成当時はまだ馬の輸送技術が発達しておらず、トレーニングセンターから競馬場まで馬を人間が曳いて歩いて行ったという逸話がある。
デビューから引退までわずか7か月の期間であり、本当に競走馬としての期間を駆け抜けた馬であった。
セントライトは非常に丈夫な馬であり、歩いて競馬場に着いた後でもケロッとしていたとされている。
生まれた場所がコーヒー牛乳などで有名な、かの【小岩井農場】であることもポイント!

シンザン

1964年、東京オリンピックイヤーに三冠を達成した競走馬
生涯戦績は19戦15勝
敗戦の4戦も全て2着であり、19戦全てで連対している抜群の安定感を誇る競走馬であった。
しかしながら、4敗は重賞ではないオープン戦で負けており、まだ100%まで仕上がっていない馬をレースに出すことで仕上げ、次の本命レースに向けて照準を合わせるという調教師の意向があったと言われている。
三冠競走以外にも、天皇賞秋、有馬記念も制しており、【五冠馬】とも呼ばれていた。
当時競走馬が出走できる全ての大レースを制したことから20年に渡り競馬界では【シンザンを超えろ】が合言葉のように使われていたとされています。
調教では後脚が前脚にぶつかって傷つけてしまう【オーバーリーチング】を起こしており、強い踏み込みと柔軟性を兼ね備えた馬であった。
このオーバーリーチングを防ぐために通常よりも重く、脚を保護するように作られた【シンザン鉄】という特殊な蹄鉄を使っていたという。

ミスターシービー

1983年に三冠を達成した競走馬
生涯戦績は15戦8勝
黒鹿毛でスラっとしたとてもルックスの良い馬で、多くの女性ファンを競馬界に取り込んだという。
最後方からの追い込みという、派手な戦法もあってその走りには観客を沸き立てる魅力があった。
父のトウショウボーイと母シービークインは新馬戦で顔を合わせた2頭であり、勝ったのはトウショウボーイの方であったが、シービークインの陣営が、「なんて強い馬がいるんだ。シービークインにはあの馬の子を産んでほしい」というとても気の早い思いを抱き、それが実現したことによってミスターシービーは誕生した。
アルファベット表記では【Mr.C.B】であり、出生地の千明牧場(Chigira Bokujou)を代表する馬になってほしいという思いから命名されたようです。
後述の三冠馬シンボリルドルフと、日本競馬史上初めて三冠馬対決が実現している。

シンボリルドルフ

1984年に、日本競馬史上初めて無敗で三冠を達成した競走馬
生涯戦績は16戦13勝
日本がグレード制を導入した初年度に大活躍をし、無敗のまま3冠を達成した。
三冠初戦の皐月賞を勝ったときに鞍上の岡部幸雄騎手が高々と人差し指を天に掲げたことが大きな話題となった。これはいわゆる【三冠予告】であり、まずは一冠を意味する行動だった。
岡部騎手の予告通り、後に三冠を達成し、長らく【シンザンを超えろ】が目標だった競馬界の目標が、【ルドルフを超えろ】に塗り替えられた。
三冠達成直後に出走したジャパンカップで前年に三冠を達成していたミスターシービーとの三冠馬対決が実現し、大きな話題となった。(結果は両馬とも敗北)
三冠達成後も活躍を続け、日本でG1競走を計7勝し【七冠馬】と呼ばれるようになった。
競走馬時代の晩年にはアメリカ競馬へ遠征を行ったが、初戦で故障を発生し、残念ながら海外での活躍は出来なかった。

ナリタブライアン

1994年に三冠を達成した競走馬
生涯戦績は21戦12勝
黒鹿毛の馬体にシャドーロールという馬具を付けていたことが良く知られている。
三冠の三戦ではどんどん着差が広がっていき(皐月賞3馬身半、ダービー5馬身、菊花賞7馬身)、どこまで強くなるのかと大きな話題をさらった。
生涯でレコードタイムを4回も記録しており、勝つときは大差を付けて勝つ姿は多くのファンを魅了した。
2歳時に朝日杯三歳ステークス、3歳時に有馬記念も制しており、4歳以降も活躍を期待されたが、股関節炎等の怪我により4歳以降はG1競走を勝つことが出来なかった。
また、引退後2世代の産駒を残した後に疝痛を起こし、腸閉塞と胃破裂を発症し亡くなってしまった。
派手な走りと短い生涯のストーリーからファンの多い馬でもあり、今でも人気の高い競走馬である。

ディープインパクト

2005年に、シンボリルドルフ以来21年振り2例目の無敗の三冠を達成した競走馬
生涯戦績は14戦12勝
一般のニュースでも話題になった馬であり、スタートが下手な分最後方から一気に捲るド派手な戦法は素人目にも凄さが分かりやすく、テレビ映えする走り方からも非常に人気の高い馬です。
鞍上にはデビューから引退までトップジョッキーの【武豊】が跨り、その走りを「まるで空を飛んでいるようだ」と表現した。
実際は四肢が地を離れてから次に四肢のうちどれかの脚が地に着くまでの期間【エアボーン】期間が平均よりも短く、一歩一歩のストライドも長いため、歩幅は広く一歩一歩は早いという理想的な走りをしていた。
競走馬としては日本でルドルフに並ぶG1を7勝を達成し、4歳時にフランスで開催される【凱旋門賞】へ出走も果たした。結果としては、風邪薬として使用していたとされる【イプラトロピウム】がフランスでは禁止薬物委指定されていたため、その成分が体内に残留した状態で出走したディープインパクトは失格となってしまった。

ニュースに事欠かさない馬であり、競馬人気の再燃に貢献した上、種牡馬入り後も産駒が大活躍を続けており、競走馬としても種牡馬としても優秀な馬であった。

オルフェーブル

2011年に三冠を達成した競走馬
生涯戦績は21戦12勝
東日本大震災の年に三冠を達成しており、多くの日本人に勇気と元気を与えてくれた馬。
三冠馬の中で唯一父、母、母父が全て内国産の馬であり、三冠馬唯一の栗毛馬である。
非常に気性が荒いことで有名であり、主戦騎手である池添騎手は何度もオルフェーブルから振り落とされている。
気性の荒さが災いし、阪神大賞典では最終コーナーを曲がり切れずに逸走するシーンが印象的である。
4歳時にはフランス遠征を行い、【凱旋門賞】にて日本から参戦した馬としては最高成績である2着となっている。
さらに、翌年も再度凱旋門賞へ挑戦しており、2年連続で2着となる偉大な記録を打ち立てた。ちなみに、凱旋門賞に挑戦した2年はどちらも前哨戦の【フォワ賞】に勝利している。

コントレイル

2020年に史上三頭目の無敗の三冠を達成した競走馬
生涯戦績は11戦8勝
父がディープインパクトであり親子でそろって無敗の三冠を達成したのは世界初である。
コントレイルが無敗の三冠を達成した同年にデアリングタクトという牝馬が無敗で牝馬三冠(桜花賞・オークス・秋華賞)を達成しており、同一年に牡牝そろって無敗の三冠を達成するという非常に珍しい年となった。
三冠達成後の次走にはジャパンカップが選ばれ
無敗の三冠馬【コントレイル】、無敗の牝馬三冠馬【デアリングタクト】、2018年に牝馬三冠を達成していた【アーモンドアイ】と、なんと三冠馬三頭が同じレースに出走するという大注目のレースが行われた。(結果はアーモンドアイの勝利)
引退レースとなったジャパンカップを見事勝利し、有終の美を飾っている。
父ディープインパクトの後継種牡馬として、繁殖に大きい期待を寄せられている。

まとめ

日本競馬の三冠馬は歴代で8頭
それぞれが強烈な個性を持っており、それぞれの人気も非常に高い馬が揃っています。

  1. セントライト
  2. シンザン
  3. ミスターシービー
  4. シンボリルドルフ
  5. ナリタブライアン
  6. ディープインパクト
  7. オルフェーブル
  8. コントレイル

なお、今回紹介した【三冠】は、牡馬三冠に当たるものであり、他にも牝馬三冠、秋古馬三冠などのものも存在する。
また別の記事で、牝馬三冠等についても紹介していこうと思うので、ぜひご一読ください。

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